#191 無常といふ事 |
小林秀雄
角川文庫
「ある人いはく、比叡の御社に、偽りてかんなぎのまねしたるな ま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、て いとうていとうと、つゞみを打ちて、心すましたる声にて、とて もかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしひ問はれて 云(いはく)、生死無常(しょうじむじょう)の有様を思ふに、 此世のことはとてもかくても候、なう後世(ごせ)をたすけ給へ と申すなり。云々(うんぬん)」
筆者は、『一言芳談抄』の「なま女房が、人間の生き死に は定まらない不確かなものなので現世のことはどうでもいい が,どうか後世がけは救ってほしい」はいう一文を、突然心 に浮かび、心にしみわたった。
「無常ということ」は論理の飛躍があり、解りにくい文章であ る。だが吉本隆明はこの文章を見て「こんないい文章が書ける か!」と思ったという。よくわからないが美しいのである。芸術 の説明は本質を損なうのかもしれない。それを承知の上で、私は あえて説明したいと思う。
あらすじは以下の通りである。
鎌倉時代の女性が死後の救済を望んで謡い祈った、という文章を 読んだ。ある時自然の中を無心に歩いていると、その映像が強く 浮かび上がるように感じた。歴史を再現するにも、記憶するだけ ではなく上手に思い出すことが大切である。生きている人はいつ の時代でも動物的であり、歴史上の人となって初めてその価値を 確定するようである。現代に生きる人は昔よりもっと動物的であ る。常なるものを見失ったからである。
無理やりメッセージに翻訳すれば、以下の通りだろうか。
永遠とは、今現在の一瞬の連続である。 時間を大切にして、一生懸命生きなさい。 昔の人は、その時代なりに一生懸命生きたのです。
いや上で書いた通り、どんな説明をしても、私よりずっと良い説 明をしても、説明は本質を損なうだろう。
長い文章ではない。知らない言葉も、難しい言葉も多くない。 原文を繰り返し読んで、味わっていただきたいと思うばかりであ る。
HP「余旁の言葉 小林秀雄」より
何となく文学の薫りがする難解な文章で、
気になりながら放り出していた「無常ということ」
を 読み返しました。
白州正子さんからの繋がりで、小林秀雄に到り、
40年来のもやもやがスッキリしました
感謝です!
HP「余旁の言葉」さん、ありがとうございました。