#229 走ることについて語るときに僕の語ること |
村上春樹
文藝春秋
「走ることについて語るときに僕の語ること」
先日来られた、
村上春樹ファンの男性おススメの本です。
エッセイ集 村上は この本を、ランニングという行為を軸にした一種の 「メモワール」(回顧録)と呼んで ... タイトルはレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛につい て語るときに我々の語ること』に由来する。
同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは
しっかり目的をもって、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。このような意見には、おそらく多くのランナーが賛同してくれるはずだ。
人生哲学の名言がいっぱい。
選べないので全部アップします。
『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹の名言集
Pain is inevitable, Suffering is optional. それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは日 本語に訳しにくいのだが、あえてごく簡単に訳せ ば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル (こちら次第)」ということになる。 たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」 と思ったとして、「きつい」というのは避けようの ない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本 人の裁量に委ねられていることである。
継続すること – リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズム が設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。し かし弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは 継続についてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはない。
昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、 それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき 相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだ から。
腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。 悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。
正直言って、自分にとくに経営の才覚があると は、僕にも思えない。失敗したらあとがないから死 にものぐるいでがんばった、というだけだと思う。
全力を尽くして取り組んで、それでうまくいかな かったならあきらめもつく。しかしもし中途半端な ことをして失敗したら、あとあと悔いが残るだろ う。
筋肉やつきにくく、落ち易い。 贅肉はつき易く、落ちにくい。
村上春樹が通う都内のジムの張り紙
忙しいからといって手を抜いたり、やめたりする わけにはいかない。もし忙しいからというだけで走 るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってし まう。走り続けるための理由はほんの少ししかない けれど、走るのをやめるための理由なら大型トラッ クいっぱいぶんはあるからだ。 僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひ とつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつ けては、せっせとくまなく磨き続けること。
どんなに走るスピードが落ちたとしても、歩くわ けにはいかない。それがルールだ。もし自分が決め たルールを一度でも破ったら、この先更にたくさん のルールを破ることになるだろうし、そうなった ら、このレースを完走することはおそらくむずかし くなる。
それはやるだけの価値のあることだ(少なくとも やらないよりはやった方がずっといい)と信じてい る。そして、ずいぶん平凡な見解ではあるけれど、 よく言われるように、やるだけの価値のあることに は、熱心にやるだけの(ある場合にはやりすぎるだ けの)価値がある。
そこにいたるために、しつこく、厳しく、そして 我慢強く、個別パートのねじが締められていく。も ちろん時間はかかる。しかしある場合には、時間を かけることがいちばんの近道になる。